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「ビジョンを持つ」ということは、いったいどういうことなのでしょうか。
そもそも、個人がビジョンを持つ必要があるのでしょうか。
就活や自己啓発などの文脈で度々登場すること言葉。くりくら。で根本から考えることにしました。

2/27「先輩からのメッセージ?人生何をするか?」Part5の今回のゲストは、某大手企業を3日で退職したご経験や、年収3000万の職を捨てたご経験を持ち、現在は国際人材開発コンサルタント会社を経営する立山桂司さんです。「ビジョン」をめぐる考え方について、白熱した議論が交わされました。

【イベント詳細】

冒頭、ビジョンの定義についてゲストの立山さんは、ご自身の見解を述べられました。
それは、個人・組織・社会どのレベルにおいても、「ありたい姿」+「あるべき姿」だとおっしゃいました。
「こうなりたい」という「ありたい姿」だけではなく、
周囲に、あるいは社会に要請される人物像としての「あるべき姿」があってこそ、
しかもそれらが矛盾なく融合してこそ、「ビジョン」となるとのことでした。
また、「ありたい姿」だけだと、どこかで必ず衝突するともおっしゃっていました。

これに対し、ある参加者は「高校時代に国際開発の仕事で人々を幸せにしたいというビジョンのようなものを描いたが、
実際に現地に行ってみると、自分が何をしたいのか分からなくなった」と語りました。
それでもなお、「ビジョン」を持つことは重要であると立山さんは主張します。
それは、自分の「あるべき姿」が、困難にあっても自分自身を突き動かしてきたからだそうです。
「だから皆さんもぜひ、今日の11:59までにビジョンを持ってください」と提案。

しかし別の参加者は、次のようにも言います。
「ビジョンなんて、やってるうちに描けるようになるはず。何も考えずにやっているうちに考えがまとまっていけばいいのだから、
持てと言われてもつようなものでもないのではないか。」
先のことは結局分からないという意味で、立山さんは半分同意しつつ、
「就活においてはそれを言葉で説明することが求められる」とします。
ただ、企業が求めるから持つべきなのでしょうか。
そもそも企業とはぶつかってはいけないのでしょうか。
そんな疑問が参加者から挙がり、現実への対処と自分の考えを貫くこととの狭間で一時議論は紛糾。
「ビジョンは学生という社会を知らない存在に持てるのか」といった意見も出ました。

論争の根は、何をもって「ビジョン」と呼ぶのかというところにあったのかもしれません。
立山さんご自身は、「ビジョン」は人生における最終的な「正解」というより、
その時々の知見に基づく決意であったり価値観だとされています。
だから、見える世界が拡がっていくたびに、それは修正されていけばいいとおっしゃいます。
みなさんはこの論題、いかがお考えでしょうか。

BY くりくら。 2010年03月05日 20:01

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